これがホントの世紀末?「フォールアウト76」はなぜここまで味気なくなったのか!?その凋落と復活

 コラム 
  公開日時 

 著者:東 

時は2018年の初夏。

あるビッグニュースが筆者の耳に届きました。

それは、あの「大人気海外RPG『フォールアウトシリーズ』の最新作が、オンライン対応の新作としてリリースされる!」というものでした。

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それを聞いた時、筆者はもちろん、多くのファンが色めき立ちました。

「フォールアウトシリーズ」の新作がまもなく楽しめる! それもオンラインで!

このニュースは海外ゲームファンにとって、2018年における大きな朗報といっても間違いないでしょう。

さて、知らない人のためにどのようなゲームなのかを説明しますと「フォールアウトシリーズ」とは、核戦争後の荒廃した世界が舞台のオープンワールドRPGです。

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「フォールアウトシリーズ」は、オープンワールドならではの自由度の高さと、何でもありの世界観に大きな特徴があります。

プレイヤーは並み居る悪党たちとの戦いや、派閥に属して対立組織を潰すなど、力一つで新しい未来を切り開いていく血湧き肉躍るストーリーを味わうことができます。やりこみ度の高いシステムには定評があり、大人向けゲームとして多くのファンに親しまれています。

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開発者のインタビューやトレイラーの発表を経て、「リリースは同年11月15日に決定!」との文字がゲームニュースサイトのトップ画面でデカデカと踊ったときには、思わず胸が弾んだことを思い出します。

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その喜びから勢いパソコンを新調し、今か今かとリリースを待ち望んでいたのです。

が、しかし、そんな甘い期待がまさか粉々になるほど打ち砕かれることになろうとは、そのときにはまるで想像できませんでしたが……。

コミュニケーション不可! 敵とも味方ともつかないモブプレヤーたちの集い

2019年11月15日のリリース当日、ダウンロード完了を待つ間はサイトで関連情報をあさりつつ想像を膨らませ、インストール完了と同時にと即座にゲームスタート!

始めた当初は荒れた大地を「ヒャッハー!」とばかりに駆け回っていたのですが、十数分後ある重大な事実に気がつきました。

「悪党がいない!? いや、そもそも人が一人もいないではないか!」

誤解しないでいただきたいのは、今作はシリーズタイトル初の大多数同時参加型RPGとあって、リリース当日はそれこそ人だらけでたくさんのプレイヤーが同じ空間にいました。

では何がいなかったのか?

そう、それはNPC、コンピュターが操るゲーム内の人物で、つまりこの世界にはモンスターとロボットしか存在していなかったのです。

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NPCがゲーム内にいない点におけるメーカーの考えは、

「他のプレイヤーが仲間でもあり敵でもあり、どちらでもないNPCでもありえる。どのようなスタンスも自分次第。それぞれの意思で思う存分世紀末気分を味わってくれ!」

というもので、この考えを基にNPCを一切排除するという英断に(無謀にも?)踏み切ったようです。

その考え方自体は、確かに面白そうに思えました。

NPCと違って予測不能の人間同士であれば、味方と見せかけての裏切りや気まぐれ、やっぱり考え直してまた仲間になるというような「真の交流」を楽しめそうですし、そんな自由勝手な振る舞いはまさに世紀末にふさわしいといえるでしょう。

オープンワールドならではの「自分の好きなように楽しむ」というゲームシステムとの相性も良さそうですし、大きな話題と人気を集めてもおかしくはないと思えました。しかしリリース直後の評価は散々。

やはりというかなんというか、スタート直後の出足が思いの外鈍かったのでしょうか。リリース一週間後にも関わらず33%オフに踏み切って大炎上し、たちまちに「駄作」の烙印を押されるに至ったのです。

言葉の上では「傑作」にしかなりえないゲームシステムに思われましたが、これのいったいなにが駄目だったのでしょうか。

頼み事にはその人の背景があり、物語がある。単なるお使いすら背負う内容によっては旅となる

その説明をするためには「フォールアウトシリーズ」の特徴や魅力について、もう少し説明が必要ですので、少々お付き合いください。

「フォールアウトシリーズ」は、元々パソコン用ゲームとして開発されたもので、その歴史は古く一作目は1997年に登場しています。

シリーズに共通しているのが「核戦争後の世界とそこに生きる人々」をテーマとしたポストアポカリプスであり、いずれも荒廃した世界に残された人々の希望と絶望が巧みに交差する人間模様が物語の核となっています。

そしてシリーズとして大きな転換期を迎えたのが2008年に登場した「3」でした。「3」からは運営会社が変わってゲームシステムも大きく様変わり、映像面ではクォータービューから3Dポリゴンへ進化したことでリアリティは大幅にアップ。それにより戦闘システムは人称視点で戦う3Dシューターとなって、激しい銃撃戦が楽しめるようになりました。

また、壊れた町並みにあふれるガラクタ、破壊しつくされた家や道や車や多くの自然。にもかかわらず美麗な映像で表現されたその空間は、不謹慎ながらも「破壊の美学」ともいうべき美しさを演出しています。

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またその世界観もかなり独特で、時代は遥か未来を想定していながらもゲーム内に設定されている文明は1950年代のアメリカなのです。

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コーラとハンバーガーにジュークボックス、そしてコテコテのアメ車など、オリジナリティの高いSF設定は本シリーズならではの雰囲気といえるでしょう。

そんな人々が住む「もう一つのかつてのアメリカ」は、生きるか死ぬかの毎日から心は荒みきり、裏切りやだまし討ちは日常茶飯事。うかうかしていると簡単に背中から撃ち抜くような連中ばかりなのですが、中には未来を憂いて復興を目指す集団も存在します。

そんな善悪の混沌を極めた世界とは、まさに「そこで暮らしている人間すなわちNPCたちが形成していた」のです。

プレイヤーはそんな彼らから様々な依頼を受けて、世界を少しでも良い方向へと導くことが目的となります。

ただし、その大部分は自分勝手なことか半ば狂ったものばかりで、R18指定はダテじゃないエグいミッションもかなり見受けられます。

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しかし、その依頼者には性格があり、背景があり、未来がある。内容はともかくそれを託されるということは、その人の一部を自分が背負うことになります。

オープンワールドゲームのことを「お使いゲーム」と揶揄する向きもあるようですが、そんなお使いであれども、依頼された数だけ冒険や旅があるのです。

しかし、それの相手がロボットとなるとどうでしょうか?

口調、表情に変化がなく、淡々とした依頼事には匂いや温もりがまるで感じられません。

文字通りに機械的に請けてこなすだけという繰り返し……これでは楽しいわけなどないのです。

憎悪や愛する気持は対象が人間だからこそ芽生えるものであり、だからこそ感情移入をしながら楽しめるというものなのでしょう。

依頼者が人間のように善悪ある相手だからこそ「助けるか? それとも倒すか?」という選択に悩み、葛藤するわけですが、感情のないもしくは薄いロボットやモンスターを倒したところで、喜びや悲しみといった感情の起伏などおこりようがないのです。

もうおわかりいただけたかと思いますが、フォールアウトはNPCがいてこその世界であり、そこでの生活や文化・文明があるからこそプレイヤーも共に生きる決意をし、浸り切ることができるのでしょう。

人間が帰ってきた! NPCも、そしてかつてのプレイヤーも!

その後はというと、筆者も一ヶ月ほどはプレイしていましたが、ほとんど惰性でした。

即33%オフになったにも関わらず、フルプライスで購入してしまったという悔しさと意地もあって無理に遊んでいましたが、そのうちログインしなくなり、気がついたときにはアンインストールしていました。

体感ではありますが、全体的なイン率も日に日にわかるくらい減っていたような気がします。

そして、すっかり本作のことを忘れかけたところに「ダウンロードコンテンツとしてNPCが登場するらしい!」という一報が舞い込んできたのですが、これは本当に嬉しいニュースでした。

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発表からかなり待たされはしたものの、2020年4月に待望の新シナリオ「ウエストランダーズ」が追加、それにより「フォールアウト」の舞台「アパラチア」にNPCが戻ってきたのでした。

なお、この発表の際のプレスリリースには「人間が帰ってきた!」とあるのですが、これはNPCのみならず筆者のほかかつてのプレイヤーのカムバックを含んでいるという嬉しい皮肉となって実現したのです。

「どうやら面白そうなゲームが出た」と聞きつけた新規プレイヤーなども続々参入し、現在では人気コンテンツとして再注目を集めています。

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さて久々にプレイを再開したわけですが、アパラチアに戻ってきたNPCとの最初のコンタクトはいきなりの銃撃戦でした(笑)

が、これでこそ「フォールアウト」であり筆者や多くのファンが待ち望んでいた世界なのです。

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ゲーム世界にはもちろんまともなキャラクターもいるとはいえ、その大部分が利己的で卑怯な奴らばかりなのですが、それにも関わらずこの居心地の良さは「フォールアウトシリーズ」でしか感じられないものなのでしょう。

そして今日もいつもNPCから、いつものセリフを投げかけられました。

「消えろ、クズ」

こんな一言ですら愛おしい。

狂っているけど温かい。

そんな温もりが「フォールアウト76」には確かに存在するのです。

「フォールアウト」の世界がよく分かる? こんなミッションが目白押し!

それでは最後にこれまでさんざん説明してきた「フォールアウト76」のイカれた世界について、一つのミッションを例に説明しましょう。

敵対勢力のいずれかの内情を撮影するミッション

「アパラチア」は武力行使での統治を目指す「レイダー」と平和的な方法での秩序回復を模索している「ファウンデーション」という二大組織が台頭していますが、中には中立的な立場のNPCも存在します。

このミッションはその中立的立場にあるキャラクターからの依頼です。「いずれかの勢力の内情を写真に収めてきて欲しい」という内容で、今回は「レイダー」の撮影依頼を受けました。

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撮影が終わったので「ダベンポート」の元に届ける、というのが誰もが思うことでしょう。
しかし「フォールアウト76」は、さらなる選択肢として「写真をネコババして敵対勢力に渡す」ということもできます。それも単に渡すだけはなく「無料であげて恩を売り、友好度を深める」か「高く売るためにふっかける」など、状況に応じた使い分けもできるのです。
今回は作業の困難さを訴えて多めの収入を得る選択をしましたが、こうなると問題なのが依頼者の「ダベンポート」のことでしょう。

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撮りに行くと約束した写真がないとなると、いったいどのようなことになるのでしょうか?
そして「ダベンポート」の元へ行き、話しかけると・・・

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正直に「他人に売った」という選択肢のほかには、なんと「写真をレイダーに奪われてしまった」という嘘をつくこともできるのです。

漫画にしてもゲームにしても主人公がつく嘘というのは、決まって「前向きな嘘」や「相手を思いやっての嘘」というのがほとんどですが、「フォールアウト76」においては自分の保身のための嘘をつくことができるのですから、本当に人心荒んだ世紀末というほか言葉がありません。

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このミッションは本当に一例でしかなく、大部分においてプレイヤーの心を揺すぶったり、悩ませたるものが多々目につきます。
中には「ガタガタ抜かすとビール瓶で頭かち割るぞ」とか「四の五の言うならお前の歯でネックレスを作ってやろうか?」などの物騒極まりなくも世紀末らしい「これを選んだらどうなるのか?」という誘惑に駆られる選択肢もチラホラ見かけます。
いわゆる勧善懲悪が大部分を占めるJRPGになれたプレイヤーでしたら、思わず目を疑う展開も目白押しで、プレイすればきっと新鮮な体験をすることができると思います。
ある意味めちゃくちゃなゲームではありますが、「何が正しくて何が悪いのか」ということを誰からも押し付けられず自分の考えて切り開けということであり、これこれそが本来RPGにおける正しい楽しみ方なのかもしれません。

著者:東
80年代からテレビゲームに親しむ親父ライター。
最近でもスマホゲームをメインにいろいろとプレイ中。