無常の街、鶯谷に想い馳せる ゲームの過去、現在、未来:黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ 第6回

 黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ 
  公開日時 

 著者:黒川文雄 
あなたの思い出のゲームはなんでしょうか。
私の場合は初めて買ってもらった「ファイナルファンタジーⅢ」、スーパーファミコンのグラフィックに驚嘆した「ザ・グレイトバトル」、友達と喧嘩になった「桃鉄」、ゲーセンで最強だった「ストリートファイターZERO2」などなど。ゲームの思い出は、不思議とその頃の自分の感情とともに思い出されます。さて、つい1ヶ月ほど前、あるゲームセンターが閉店しました。多くの思い出を作ってきたゲームセンターの閉店により、様々な過去がここで終着点を迎えました。
長くゲーム業界に携わってきた黒川氏に、若かりし頃のゲームの思い出とともに過去未来について語っていただきました。(SQOOL.NET編集部)

無常の街、鶯谷に想い馳せる ゲームの過去、現在、未来:黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ 第6回

皆さんは鶯谷(うぐいすだに)を御存じだろうか。そこは都内在住の方にもあまり馴染みの無い場所かもしれない。
実は「鶯谷」という町名は存在しない。正式な町名は根岸といい、近くには落語家の名門「故初代:林家三平」「現・林家三平」が居を構えることで有名だ。少し歩けば「入谷鬼子母神」、上野の山には「東京芸術大学」「寛永寺」「上野動物園」などが点在する。

そこだけみれば、文化的な香りのする鶯谷だが、夜にその街を訪れると印象は180度変わる。鶯谷駅のホームから見える夜の景色は極彩色のネオン煌めくラブホテル街。
東北の玄関口である上野駅の隣駅、鶯谷駅、そこは昭和から時間が止まったような錯覚さえ覚える不思議な街だ。

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この鶯谷で12年間営業したゲームセンター「ゲームインみとや鶯谷店」が、8月31日22時に閉店した。毎日決まった時間に一斉に筐体の電源がオンになり、人々がプレイすることで生き生きと稼働していたゲームはすでに動かない。その役目を果たし終えたということだ。

「ゲームインみとや鶯谷店」閉店のニュースに触れ、訪ねた店舗で再会したのはセガの3DCG格闘ゲーム「ファイティングバイパーズ」。ゲームインみとや鶯谷店、最後の店長が好きで導入したこのゲーム、ゲームが結んだ見えざる糸がそこにあるような気がした。私の人生とゲームを振り返る上で探していた落し物が、ある日突然、見つかったような気持ちだった。

大学生時代、A君の下宿でプレイしたファミコンの「ドンキーコング」

大学の同級生には地方出身者も多く、彼らの一人暮らしというフリーな環境にはずっと憧れがあった。なぜ一人暮らしに憧れたのか、その背景には父親の存在があったと思う。

少年時代の私にとって父親は恐い大人だった。ゆえに少年期にあるような「反抗期」のような時期もなく、どちらかと言えば、父親の言うことをよく聞いていた。しかし大学時代は遊びたい盛りだったこともあって、父親の言うことを聞く自分と、そうではない自分の心の葛藤もあった。
そのため、地方から東京の大学に入学した下宿生のような、誰からもうるさいことを言われない環境イコール一人暮らしという環境に憧れていたのだ。

私の大学生時代の思い出のゲームはファミコンの「ドンキーコング」だ。

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私は大学生時代、愛知県名古屋市出身で二浪して大学に入った、経済学部の同級生A君の下宿によく入り浸っていた。
A君の下宿は、大学のある西武池袋線「江古田駅」の隣の「練馬駅」から徒歩10分ほどのモルタル2階建てのアパートだ。ファミリーコンピュータを初めてみたのは、1983年8月頃、A君の下宿だった。

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私が彼の部屋に行くと、決まって「ドンキーコング」を攻略していた。途中、A君のコントローラを奪ってやってみたが、あっと言う間に、ゲームオーバー・・・ビデオゲームって難しいと思った。A君のアパートの思い出は「ドンキーコング」、そして「ドンキーコング」を攻略したA君の手元には「マリオブラザーズ」があった。

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A君はいつも自由だった。

誰からも制約されることなく自分のやりたいことをやる・・・いつか私もこんな風に自由に生きてみたいと思った。

新入社員時代、名古屋ゲーセンでプレイした「ハングオン」

就職する気はあまり無かったが、親の手前、世間体もあってか、このまま就職できないままでいるのもまずい、それと自信過剰な意識が「お前を必要としている音楽業界がある」と言う。結果的には音楽産業の川上に位置するレコード会社に入社した。

それも束の間、2週間の研修を経て、愛知県名古屋市の営業所に配属となった。皮肉なことだが、大学の同級生のA君の故郷である名古屋市に赴任することになった。

配属辞令を受け取り名古屋へ、二日ほど営業所の近くのビジネスホテルに宿泊し、所長と一緒に営業車を使って不動産屋をまわり、アパート探しが始まった。所長にすれば「新人のアパートなんて、寝られればいいだろう」くらいの気持ちだったに違いない。

私はと言えば、初めての一人暮らし、それも東京じゃない、まったく自分の人生と無縁だった名古屋。できることならコンクリート打ち放しの「カッコいい」マンションに住んでみたいと思っていた。無常の街、鶯谷に想い馳せる ゲームの過去、現在、未来:黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ 第6回

しかし3件ほど物件を見終わったところで、所長が「ここでええやろ」と関西弁で言ったそこは、鉄製の外階段、上り下りでカンカンと音がするアレ、コンクリートモルタル作りの(当時でも)古ぼけたアパート。当然のことだが、洗濯機はベランダに置くスペースがあるタイプ、あとはご想像におまかせするが、そのアパートの名称は「とおる荘」、部屋番号は「東の2」・・・なんだ、その東の2って・・・。

ともあれ名古屋での新入社員生活がスタートしたわけだが、その頃はちょうどゲームセンターの体感ゲームがブームで、セガの大型のバイク体感ゲーム「ハングオン」(1985年導入)を栄(さかえ)のゲームセンターでよく遊んだ。

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仕事終わりに先輩と一緒にゲームセンターに行き、飲み会の前の時間つぶしにメダルゲームをやったりもしたが、「ハングオン」があると必ずライドしたものだった。

実際の「ハングオン」のプレイ印象は「本物のバイクのフィーリングと違う」ものだったが、筐体に体重を思いっきりぐぐっと掛けてハングオン(体勢を傾けて車体をコントロール)する面白さは今まで体験したゲームとは違うものを感じた。

ちなみに、この頃の家庭用ゲームとの接点は、レコードのセールスマンをしていた関係で友人のビクター音楽産業のセールスマンからMSXのパソコンを購入したことだった。ソフトは「ちゃっくんぽっぷ」(タイトー製)という迷路型のアクションゲームだった。しばらく遊んだが、すぐに飽きてしまった。

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名古屋時代の思い出のゲームは、「ハングオン」と「ちゃっくんぽっぷ」という、色々な意味で両極端な二つになった。

捨てられない生活は捨てられなかった人生か・・・

「とおる荘 東の2」での生活は3年間続いた。たかが3年、されど3年である。大学生の延長線だった生ぬるい自分の人生観も変わった。そして、新しい本社勤務の辞令が出て東京へ戻ることは、新しい変化と自分の挑戦の始まりとして心躍るものがあった。

しかし着任前はほとんどなかった家財道具や趣味のモノが増えてしまい、帰任するときは1トントラックがいっぱいになるほどに物が増えてしまった。今思うと、よくあれだけのものを持って帰ったと思う。・・・というよりも、捨てたくなかったことと、捨て方が分からなかったということだと思う。

そこには3年間の人生があり、その思い出を、そのまま東京に持って帰りたいという気持ちがあったのだろう。もし今、同じような境遇になったら、大胆にモノを処理しているだろう。いわゆる気持ちよく断捨離ができると思う。思い出への執着も、欲望もあの頃よりも減少している。

その後、都内で転職をするタイミングで2回引っ越しを行った。どちらも比較的近い距離の場所だったこともあり、愛知県から東京都内に戻ったあの頃とは違ってさほど大変さを感じなかった。しかし、人間関係の引っ越しのほうが大変だった。得るものと、失うもの、そのバランスはいつも絶妙なバランスを保っていた。

2018年8月31日22時 「ゲームインみとや鶯谷店」

今回、「ゲームインみとや鶯谷店」の閉店は、このところよくあるゲームセンター事業斜陽化のひとつの事象に過ぎないだろう。大手資本が寡占し専門店化が進む中で、街中のバラエティに富んだゲームセンターは、その活動の範囲と顧客層が狭まっているように思う。

店内の片隅でプレイヤーを待つブラストシティ筐体に組み込まれた3DCG基盤モデル2を擁した「ファイティングバイパーズ」は店長の青春の思い出が詰まったゲームだと言う。

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「ファイティングバイパーズ」は、「バーチャファイター2」と同じ3DCG基盤モデル2を使用した格闘ゲーム。革新的だったのはキャラクターの攻撃によってボディアーマー(防具)が破壊されることと、カメラワークを中心にした演出のハデさだった。ちなみに「ファイティングバイパーズ」の隣にはAM3研が開発した「東京番外地 ラストブロンクス」も稼働していたことも僕は驚きを隠しえなかった。

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レトロゲームの聖地でもなく、店長が昔好きで仲間とプレイしたゲームを集めた結果、そのようなラインナップになったという。

8月31日22時、閉店告知の時間を少し回ったところで、私と店長は目があった。「蛍の光」が流れるわけもなく、店長はひとり、またひとりと、長年「ゲームインみとや鶯谷店」でプレイを続けてくれた顧客を見送った。これから約1週間かけて、店内の筐体や両替機などを選別し、転売できるもの、リサイクルされるもの、完全にスクラップとして廃棄されるものに分別されて処分されるという。

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「ゲームインみとや鶯谷店」の店長は山梨県出身で高校を卒業後単身東京へ、一時は和菓子職人を目指すもの、ゲーム好きが昂じてゲームセンターでアルバイト勤務し始め、すでに四半世紀をビデオゲームと「ゲームインみとや」で過ごしてきた。

店長はゲームが好きでゲームに関わっていれればそれでよかったという、渋谷のセンター街横の「みとや」のアルバイトから始まり、「みとや」と命運を同じくすべく「渋谷」店撤退にともない、鶯谷店に異動した。

みとやチェーンにとって「ゲームインみとや鶯谷店」は最後のゲームセンターだった。

閉店から約1週間後の9月8日(土曜日)、最後の筐体が搬出され、産廃業者のアルバイトの学生さんたちがほうきを使って掃除をすると、今まで数多くの筐体が占拠し多くのプレイヤーを熱狂させたその場所は、6年前に移転してきたときと同じ何も無い空間に戻った。そして、そこはまた新しい店子を迎えることになる。新しい人々は、そこにゲームセンターがあったと想像することもないだろう。

私の人生も、「ゲームインみとや鶯谷店」の店長の人生も、巻き戻すことはできない儚(はかな)い夢のような時間だったのかもしれない。そして、そこでは歩みを止めることなく新しい生活が始まる。
未来は過去の日々の積み重ね、それ以上でも、それ以下でもない。そして、待ち受ける未来がどのようなものになるかわからないが、何も変わらない街。鶯谷はそれらを大きく呑み込んでまた新しい朝を迎えることだろう。

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著者:黒川文雄
1960年・東京都出身
音楽や映画映像ビジネスの後に、セガ、コナミDE、ブシロード、NHNJapan(現在のNHNPlayart+LINE)などゲーム関連企業でゲームビジネスに携わるエンタメ界の「グラン ドスラム達成者」。
現在はジェミニエンタテインメント代表取締役と黒川メディアコンテンツ研究所・所長を務め、メディアアコンテンツ研究家としてジャーナリスティックな活動も、さらにエンタテインメント系勉強会の黒川塾を主宰。
プロデュース作品に「ANA747 FOREVER」「ATARI GAME OVER」(映像)「アルテイル」(オンラインゲーム),大手パブリッシャーとの協業コンテンツ等多数。オンラインサロン黒川塾も開設。
著書:プロゲーマー、業界のしくみからお金の話まで eスポーツのすべてがわかる本