ゲーム温故知新!第6回「PAC-MAN(パックマン) 256」
著者:東
ここ最近、昭和の偉人たちの訃報をよく耳にします。
今は平成29年。
昭和の時代に活躍していた人物でしたら年齢的にも鬼籍に入るのも致し方がないのですが、それらの人たちから夢や希望を貰っていた世代の筆者にとってはそういうニュースを見るたびにため息をつかずにはいられません。
そして、そんな中でもとりわけショックだったのが中村雅哉(なかむら まさや)氏の訃報でした。
訃報:株式会社ナムコ会長 現株式会社バンダイナムコホールディングス最高顧問の中村雅哉氏が逝去
本サイトの読者には、この名前を聞いてもピンと来ない人も多いかと思いますが、「ナムコを作った人」といえば「へぇ」となるのではないでしょうか?
今回はそんな中村氏を偲んで、ナムコそして同社がブレイクするきっかけとなったビッグタイトル「パックマン」についての話題です。
ゲームのエンタメ化、マルチメディア化への先駆け
ゲームのミュージックCDやムック本、テレビCMなどいまでは当たり前となったそれらのものに先鞭を付けたのがナムコなのです。
「おもいカルチャーをオモチャーという」。
当時音楽シーンの先鋭であったテクノポップバンド「YMO」のメンバーである細野晴臣を起用したテレビCMでの有名なセリフなのですが、80年代初頭にしてすでにゲームを単なる暇つぶしでなく「カルチャー」と明言。
その後まもなく世界中で大ヒットとなる日本製ゲームの台頭を予言したかのようにも思えますが、その細野氏を起用して作られた(たぶん)業界初のゲームレコード(当時CDはありませんでした)「ゼビウス」の発売を皮切りに、当時としては斬新な試みの数々を実践しているのです。
同時期にナムコが定期刊行していたフリーペーパー「NG」や「ポールポジション」などの自社ゲームを扱った豆本の数々、そしてさらに深夜にオンエアされていた前衛ラジオ番組「ラジオはアメリカン(略してラジアメ)」などなど、いまでは多くの会社が行っている書籍、ラジオ、テレビなどのメディア展開はすでにナムコが30年以上も昔にやり尽くしたことなのです。
ナムコが作ったそんな「獣道」は多くの追従者ができたことで大きな道となり、そして今日に至り、皆が知るところとなりました。
ナムコにまつわる伝説については言い出すとキリがないのでこれ以上のことは書きませんが、もし気になるようでしたら各人で調べてみてください。
きっと面白い話題の数々を目にすることになるはずです。
あっ、一点だけ追記しておきますとみなさんが大好きな「ポケモン」の生みの親である田代氏は元を正すとナムコゲームをメインとする同人誌を作ったことが業界入りの第一歩だったりします。
他にもナムコゲームの洗礼を受けて活躍している著名人は数多くいますので、そちらについても合わせて調べてみてはいかがでしょうか?
ナムコの名を世界に知らしめた歴史的名作「パックマン」の登場
インベーダーのヒットによって世間ではたちまちにシューティングブームが巻き起こりました。
まさに猫も杓子もシューティングという状況の中に登場したのが「パックマン」なのです。
ファンシーでカラフルなキャラクターや軽快なテンポのBGMはそれまでの無機質なゲームとはまるで一線を画す革命的なものであったと記憶していますが、それは多くの人が思ったことでもあるようでたちまちのうちに大ヒット。
それも国内のみならず世界的なブームとして席巻しました。
筆者の知る限りではゲームキャラクターが世界的に親しまれたのはマリオよりも先にパックマンだったと記憶しています。
それまでのゲームではこのように「キャラが立つ」という状況はまるで皆無でした。
そんなこんなで数々の続編が登場したわけですが、今回紹介するのもそんなパックマンの遺伝子を引き継いだスマートフォン用のアプリ「PAC-MAN 256」というアプリです。
「PAC-MAN 256」の「256」に込められた意味とは!?
「PAC-MAN 256」は初代と同様に迷路に散りばめられているクッキーをひたすら食べ続けていくのが目的のドットイートゲームです。
パワーアップや連続して食べ続けることで発生するコンボなど、最近のゲーム的な味付けが施されたことで単なる懐かしさだけをウリとしたいわゆる「レゲー」とは異なりますが、基本となる部分は外れてもズレてもいないので、これはやはり「パックマン」という他に言葉はありません。
往年の「パックマン」のゲーム性はそのままに現代版として最適化したという印象で、お初の人から当時プレイしていたゲーマーでも、ちゃんと楽しめる内容に仕上がっています。
そしてタイトルにある「256」について。
これはどういう意味なのかというと、答えはゲーム画面にあります。
画面の端が一部英数字に覆われてバグっているように見えるかと思いますが、これが「256」の正体なのです。
昭和のゲーマーにとって「256」とは憧れの数字でありまた「鬼門」でもありました。
なぜかというと「パックマン」でいいますと256面に到達することでゲーム画面の表示がおかしくなってしまい、継続不可能な状況になるバグを抱えていたからです。
そこまでプレイを続けられることはゲーマーにとっての誉れであり、また多くの人が「自分の目で確かめたい!」という羨望の領域でもありました。
そしてこれはなにも「パックマン」に限ったことではなく、昔のゲームにはこの「256の壁」が存在するタイトルがけっこうあったりもします。
さて、それではなぜ「256」なのか?
その答えは・・・調べてみてください(笑)
「256 バグ ゲーム」などのキーワードでGoogle検索してみると、きっと面白い答えを目にすることができるでしょう。
それをきっかけに、昔のゲームはどうだったのか?ということにまで興味が湧くと、今まで以上にナムコひいてはゲームのことが好きになるはずですから。
クラシックな画面でもプレイすることができます。おじさんゲーマーにとっては嬉しくも懐かしいです。