ゲームにおけるオンライン化の功罪についての考察
著者:東
ブロードバンドの普及により、現在はほとんどのゲームがオンラインに対応しています。
逆に非対応のゲームを探すほうが難しいほど、オンラインはゲームに欠かせない要素の一つとなりました。オンライン対応以前では考えられなかったような改革的なゲームも数多く誕生しています。
なんといっても、世界中のプレイヤーとゲームを楽しめるようになったことは、間違いなくオンライン化の最も大きな功績でしょう。
家にいながらいつでもどこでも好きなタイミングで世界中のプレイヤーとゲームを遊ぶことができるのですから、昭和の昔からゲームセンターで遊んでいた筆者のようなおじさんには、まるで夢のような話です。
ゲームセンターで格闘ゲームをプレイ中に、不良っぽい人が対戦相手として乱入してきた時の緊張感、そして勝てそうなときでもあえて手を抜いて(バレないようにさり気なく)負けるような気遣いが不要なのですから、本当にいい時代だと思います(笑)
さてそんな昔話はさておき、このような「オンラインありき」のゲーム環境がもたらした素晴らしいことはたくさんあるのですが、反面多くの問題や難点を抱えているのもまた事実です。
今回は、そんなゲームのオンライン化における「功と罪」についてのお話をしましょう。
ゲームのオンライン化における「功」とは?
まずはゲームがオンライン化したことにおける「功」の部分から見ていきましょう。
すでに説明したように世界中のプレイヤーとゲームを中心に繋がれるようになったことを始め、他にもゲームの楽しみ方から開発に至るまで実に多くの革命が起こりました。
オンライン化以前のいわゆる売り切りゲーム時代は、そのゲームを最後まで遊び尽くしてしまったら、よほどの思い入れがない限り再度そのゲームをプレイしないことが多いと思いますが、今は違います。
ゲームにオンライン要素が加わって以降、家庭用ゲームか携帯ゲームかを問わず、人気のあるタイトルは3年、5年、場合によっては10年以上も親しまれていることはご存知かと思いますが、それは言うまでもなく定期的に新たなコンテツを追加することによって、ユーザーを飽きさせないようにしているからにほかなりません。
しかも寿命を伸ばすだけではなく、場合によってはクソゲーとして叩かれていた作品がダウンロードコンテツの導入によって息を吹き返すことすらあるのです。
具体例としては、シナリオをまるまる作り直す大胆な修正を施したことで返り咲いたゲームもありました。このことについては、
これがホントの世紀末?「フォールアウト76」はなぜここまで味気なくなったのか!?その凋落と復活
という記事で触れていますので、よろしければ一読してみてください。
その他ゲームのオンライン化における大きなメリットは、致命的なバグなどが出た場合の対処も容易になったことが挙げられるでしょう。
格闘ゲームの場合、ハメ技の解消やキャラクターバランスの調整などのテコ入れが可能になったことで、常にフラットなプレイ環境を維持できるようになりました。今では当然のことですが、オンライン化以前では多くのユーザーが熱望していたことだったのです。
例えばかなり前のリリースですが「CAPCOM VS. SNK 2」というアーケード版の人気格闘ゲームがありました。
カプコンとSNKは、90年代にたくさんの2D格闘ゲームを制作しており、現在では基本システムとなっている「コンボ」や「超必殺技」のほか、格闘ゲームのベースを作り上げた2大メーカー。いわば同じゲームジャンルでしのぎを削るライバル会社でした。
それだけに、まさかの両社人気キャラクターたちが登場するドリームマッチの実現には、多くの格闘ゲームファンが沸き立ちました。
まぁ、それは無理もありません。このようなタイトルがリリースされれば、2D格闘ゲームファンを自認するなら遊ばないわけがありません。。
しかし、残念なことに期待していたプレイヤー達の熱い思いは、早々に打ち破られることになります。
それは致命的なバグの存在でした。
キャラクター数が豊富で、バトルシステムも6グールブあることから調整が難しかったのか、一部であまりに突出しすぎたチーム編成が目立ち、さらにゲームバランスを壊すほどの「前転キャンセル」というバグ技が見つかるなど、期待とは裏腹に残念なところも目立つ「非情に惜しいゲーム」としてファンの間では語られることになったのです。
「CAPCOM VS. SNK 2」はいまだ一部熱狂的ファンに支えられてローカル大会が定期開催されているのですが、その際には前述した「前キャンとKグルーブは禁止」という独自ルールの下運用されることが多く、その注意事項にファンの悲しい気持ちがにじみ出いているようでなんともやるせない気分になります。
そして、多くのプレイヤーが切望したのが「これらを直すことができれば傑作なのに……」というものでした。
このようなことは「CAPCOM VS. SNK 2」以外にも数多くあり、素材は良いが致命的なバグやバランス調整の問題で埋没していった作品は枚挙に暇がありません。
しかし、ゲームのオンライン化が定着した現在ではバグ修正やバランス調整を後からでも行えるようになったため、そのような無念を抱えたままプレイすることも少なくなりました。
恩恵はそれだけではありません。
ゲームをお店で買わずにダウンロードで購入できることや、パッケージ化していないことならではのプライスダウン販売など、オンライン化による様々なメリットが生まれました。
小さなゲームメーカーから驚くような面白さを持つゲームがネットで配信されるなど、オンライン化されなければ実現しなかったようなことが、続々と起こっているのです。
ゲームのオンライン化における「罪」とは?
それでは次に、ゲームがオンライン化したことにより生まれた「罪」についての説明をします。
1つ目は、販売に関する問題点から見ていきましょう。
最近では、「DEAD OR ALIVE 6」の炎上が記憶に新しく、多くのユーザーから怒りと失望の声が上がりました。
ご存じない方のために軽く説明しますと「DEAD OR ALIVE 6」は、パッケージとオンラインで通常売価にて発売されたものの、たったの2週間で告知も無く基本無料のダウンロード版がリリースされたのです。
これはまさに、オンライン対応になって簡単にゲームをダウンロードできるようになったからこそ、起こったことと言えるでしょう。
無料版が出る前に購入したユーザーは8,580円も支払っているわけですから怒るのも当然です。しかも無料版では欲しいキャラを個別に購入することができるとあって、怒り心頭なのも理解できます。
このような例は他にもあり、海外の人気RPG「フォールアウト76」は、リリース後約一週間で大幅値下げを行い、世界中のユーザーから叩かれる事態に発展していました。
発売直後の無料化や値下げはいうなれば、完全にユーザーに対してのだまし討ちのようなものでしょうし、発売を楽しみに予約までしていた人への背信行為にほかならず、期待していた人ほど激しく失望するのも無理はありません。
また最近よく見かけるようになったのが「有料ベータ販売」といわれる未完成品の見切りリリースです。
こちらについては、「ストリートファイターV」が発売時にストーリーを始めとする基本モードがまるで実装されていなかったため、アマゾンレビューが大荒れになった、という例があります。
「フォールアウト」や「エルダースクロール」などのリリースをしているベセスダ・ソフトワークスの新作タイトルはおしなべて大量のバグが発生することから、初期に購入するファンのことを「有料デバッガー」と揶揄する向きもあるほどです。
このような強引なリリースの背景にはゲームがオンライン化されたことで、後からいくらでもバグ修正やバランス調整ができるようになったことがあります。
「最悪アプデで直せばいい」という、悪い意味でオンライン化の恩恵に頼り切っているのでしょう。
さて、メーカー側はそれらをアップデートで補いつつ時間をかけて補完していきますが、ただ、このアップデートできるということ自体にも問題があるのだから厄介だったりします。
それはバグを悪用する一部のユーザーの存在。
例えばアップデートでバグフィックスをしても、一部の悪意のあるユーザーは次なるバグを必死になって探します。場合によっては、バグ修正前よりも悪い状況になることもあり、メーカーにとっては悩ましい問題です。
オンライン化がゲームにもたらす恩恵は、そのまま仇にもなりうるのです。
また、メーカー側もリリースした後では取り返しのつかなかった昔とは違い、今は後でいくらでも直すことができることから、なんとなくですが「ものづくりに対しての責任感や緊張感が薄まった」ということもあるのかもしれません。
良いことも悪いこともまとめて飲み込んでさらなる楽しさを見つけ出す
オンライン化がゲームにもたらす「功罪」についてつらつらと書きましたが、本当はまだまだいろいろな「功」や「罪」があります。
「功」であり「罪」にもなり得るグレーな事柄もしばしば存在するのですが、その一つとしてあるのが「ゲームバランス調整」です。
バランスが悪い部分を簡単に直せるのは良いことなのですが、反面問題になることも少なくはありません。
それは格闘ゲームであれば贔屓の強キャラの弱体化や、3Dシューティングゲームにおける武器や装備の下方修正(ナーフ)などで、それまで快適に使っていたものが突然思い通りに動かなくなり、苦労して手に入れた装備がガラクタになることもあるからです。
これが行われる時は大体ゲームの掲示板が騒がしくなり、お約束として「○○をするならもう辞める!」という引退宣言が続出しますが、確かにそれは「罪」なことかもしれませんけど、別の見方も出来なくはありませんか?
筆者はその際に「新たな楽しみを探すことができる」と考えています。
格闘ゲームにしても3Dシューティングゲームにしても、攻略が極まると強いキャラクター、似たような装備でのプレイになりがちですが、果たして「同じことを繰り返していて楽しいのか?」という疑問を常に持っていましたし、それはどう考えても末期症状でしょう。
ゲームのバランス調整は人それぞれに賛否があることですので一概にどうとは言えないものの、個人的には気持ちも新たにして1からやり直すのは楽しいことなのだと思わずにはいられないのですが、あなたはどう思いますか?
時代の流れと言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、筆者のような年寄ゲーマーは、オンライン化により自宅でどんなゲームもプレイできるようになったことで、ゲームセンターの役目が終わりを告げたことも、ある意味「罪」なことだと思ったりもします。
筆者が子供の頃はゲームセンターで友達が出来たり、新たな交流も生まれる場所でした。
そういう出会いの場がなくなるのはなんとも寂しく思い、勝手に「一つの時代が終わった」などとセンチになったものですが、しかしそれは別の形で復権していることを最近知りました。
以前夜に外出した時のことですが、公園のベンチで塾帰りらしき子どもたちがたむろしており、いったい何かと覗き込むと輪になってスマートフォンのゲームをプレイしていたのです。
それを見た時、ちょっとうれしい気分になりました。
いつの時代でも、やはりゲームは子どもたちをつなぐのに大事なものであることを感じたからです。
インターネットで世界中の見知らぬ人たちとの交流も良いですが、膝を突き合わせて遊ぶのもやはりゲームならではの醍醐味。
ゲームはいつの時代でも、画面の向こう側には生身の人がいるということを認識しながら楽しめるものであって欲しいものです。