ゲームに「残機」はもはや不要?なくなりつつある「残機制」とゲームの変遷
著者:シェループ
あと何回失敗すればゲームオーバーになるかを示す指標「残機」。
またの言い方で「残り人数」。
アクションゲームのジャンルでは古くから当たり前のように存在し続けているシステムだ。アクションゲーム以外でもシューティングゲーム、ごく稀だがパズルゲームでも採用されている。
そんな「残機」だが最近になって、主にアクションゲームにおいて撤廃の動きが目立ってきている。
今や「残機」は存在する例の方が少ない
記憶に新しいのは2017年発売のNintendo Switch用ゲームソフト「スーパーマリオオデッセイ」だ。「スーパーマリオ64」に代表される3Dマリオシリーズの新作として発売された「スーパーマリオオデッセイ」では、それまで3Dのみならず、2Dのマリオシリーズでも当たり前のように存在した「残機」のシステム、「残機制」を撤廃。失敗しても手持ちのコインが減る仕様に変更された。当時この変更は大きな話題を呼び、一部のファンの間で議論が起こった。
2021年2月には3Dマリオ事実上の新作、「フューリーワールド(スーパーマリオ3Dワールド+フューリーワールド)」が発売された。一緒に収録された「スーパーマリオ3Dワールド」はWiiUで発売された同名タイトルの移植版で、これには「残機制」が採用されている。対し、完全新作の「フューリーワールド」は?
答えは「スーパーマリオオデッセイ」同様、「残機制」を採用していない。
手持ちのコインが全部失われるだけに留められている。
同じ2月にはカプコンより、高難易度アクションゲームとして名高い「魔界村」の新作「帰ってきた魔界村」がNintendo Switch用ゲームソフトとして発売された。こちらも旧作は「残機制」を採用していた。だが今回は完全に撤廃。しかも、最高難易度「伝説の騎士」もその仕様で、シリーズのキャッチコピーにちなんだ「百万回やられても、負けない!」を体現する作りになっているのである。
他にも最近発売されたアクションゲームの「残機制」を採用していない例として、ひとつに「ショベルナイト」がある。
「ショベルナイト」はミスをすると手持ちのお金をその場に落としてしまう仕組みになっている。(チェックポイントから復帰後、その場所まで無事戻ることができれば回収できる)
もうひとつに「Celeste」。
ミスするたび、その回数が記録されていくようになっている。
そして「蒼き雷霆(アームドブルー)ガンヴォルト」。
高得点、高ランクの獲得が難しくなるペナルティが課せられる。
以上、2D作品中心の一例になったが、3D作品でも「ユーカレイリー」、「ラチェット&クランク THE GAME」などの例がある。また、「クラッシュ・バンティクー4 とんでもマルチバース」のように、難易度によっては「残機制」を採用する例もある。
逆に「残機制」を今なお採用し続けているゲームの例では「星のカービィ」、「ドンキーコング」、「ロックマン」が挙げられる。しかし「ロックマン」は「ロックマンX8」、「ロックマン11 運命の歯車!!」のように、難易度によっては「残機制」を廃している例がある。「星のカービィ」も外伝作品だが、「毛糸のカービィ」では存在しない。
いずれも歴史が古く、根強い人気を誇る作品だが、マリオシリーズ、そのスピンオフに当たるヨッシーシリーズといった有名な作品が「残機制」の撤廃を判断する動きが出てきていることから、採用しているゲームの数は減少傾向にある。
あったとしても、特定の難易度にしか存在しない要素となりつつある感じだ。
あるコンセプトの大ヒット、それによる認識の変化
なぜ、「残機制」の廃止例が増える傾向になったのか。
推測されるに前述の「Celeste」が該当するが、2008年頃誕生した俗に「死にゲー」と呼ばれる、簡単にやられてしまうが、すぐに復活してやり直せるゲームの台頭があるのかもしれない。
やり直しに対するプレイヤー側の認識、トレンドの変化もあるだろう。アクションゲームに限ったことではないが、やり直しとは基本、プレイヤーに負担を強いるものである。特に残機を全て失い、ゲームオーバーを迎えた際のやり直しの負担は非常に大きい。大抵難関の最初からやり直しになったり、古いゲームならば本編の始めからやり直しになったりする。
かつてはそう言った大きなペナルティが当たり前だったが、前述の「死にゲー」の台頭のほか、PlayStation 2で発売された「ゴッド・オブ・ウォー」のように復帰ポイントを細かく設置する対策を取ったゲームが出てくるようになり、ペナルティを大きくしたものには批判が集まりやすくなっていった。細かく設置できないゲームでも、残機を増やす機会を沢山設けるという措置が取られるようになったが、今度はシステムそのものが形骸化してしまった。
2013年にニンテンドー3DSで発売された「Newスーパーマリオブラザーズ2」は象徴的な一例と言っていい。100枚集める度に残機が増える「コイン」のアイテムを100万枚集める遊びを売りにしている都合で、道中にはそれにちなんだコインを集める仕掛けが大量に登場する。加えて「1UPキノコ」など、他の残機を増やすアイテムなども多々置かれている。そのため、残機の総数は早い内に3桁を超えてしまう。
「ドンキーコング」も「ドンキーコングリターンズ」、「ドンキーコング トロピカルフリーズ」の2作では、前述の「Newスーパーマリオブラザーズ2」ほどではないが、100個集めると残機が増える「バナナ」がコースごとに沢山配置されている関係で集まりやすく、関連して残機もよく増える。また、「バナナコイン」と呼ばれる通貨アイテムが一定量貯まれば、お店で残機を簡単に購入(補充)できる救済措置も設けられている。この「バナナコイン」もコース上に多く配置されているため、集まりやすい。
こういった「そこまで増やせるなら、何のためにゲームオーバーは存在する?」と疑問を呈さざるを得ない例が増え、近年はどちらのタイトルもゲームオーバーの存在意義そのものが疑われるようになってしまった。
ましてやマリオに至っては、2009年の「NewスーパーマリオブラザーズWii」以降、何度かミスを繰り返した時に限り解禁される、コースを軽々クリアできる救済機能が標準化された影響で、ますます存在意義が薄くなっていた。
そう言った残機の必然性を薄める配慮、救済機能を備えてしまった結果が「スーパーマリオオデッセイ」での「残機制」廃止である。
結局のところ、「残機制」がなくてもゲームの手応えや面白さは変わらず、魅力を殺ぐ心配がないと判断され、廃止の動きに至ったのだろう。
ちゃんと意義を残して「残機制」を継続させている作品もある。
「ロックマン」は攻略するステージを自由に選んで、進めるスタイルを採用しているので、もし選んだステージが難しくて手に負えない場合はゲームオーバーのやり直しが発生すれば、違うステージを選んで出直すという手段が取れる。前述の通り、難易度によっては残機が存在しないシリーズ作品の例もあるが、返って自分の腕前にあった攻略ルートを見つけ出す楽しさが弱まってしまうので、存在するメリットが出せている。残機の最大値が10で、それ以上増えることが無い制限が取られているのも大きい。
逆に同じカプコンの「魔界村」はステージを選び直す方法は取れない。「帰ってきた魔界村」は一部に限り、選択の機会を設けているが、基本的にどちらか片方を攻略すれば先に進む仕組み。そもそも、「魔界村」は1から順番にステージを攻略しながら進めていく1本道構成、迫りくる困難との直球勝負に比重を置いている。過去の「魔界村」でもそれらを乗り越える面白さを突き詰めていたことから、より体験しやすくするための意図で新作では廃止が判断されたのだろう。結果、直球勝負に挑みやすくなっている。
なので、ちゃんとメリットがあったり、存在することで生まれる攻略の面白さが表現できるものなら、「残機制」は残り続けるのだと思う。ただ、形骸化が起きてしまっている「星のカービィ」、「ドンキーコング」に関しては将来の新作で撤廃へと動くのだろう。もちろん、調整や設計の方向性によっては続投の可能性もあるが、直近の作品でそうなってしまっている以上、際どいかもしれない。
しかし、こうしてアクションゲームにおける残機制撤廃の流れが進む現状を見ると、今の時代はワリオに追いついたのか、と思えてくる。1992年の「スーパーマリオランド2 6つの金貨」で悪役として初登場したマリオのライバル、ワリオが主演を務めた「ワリオランド」シリーズのことだ。
最初の主演作「スーパーマリオランド3 ワリオランド」は、率直に言ってマリオをワリオに置き換えたも同然の内容だった。細かい要素には差異があったが。
しかし、1998年に発売された「ワリオランド2 盗まれた財宝」から、このシリーズは大胆な変更を行った。ワリオを不死身にしたのである。敵に触れても、罠にハマっても、絶対に死なない。ゲームオーバーだって存在しない、驚きのアクションゲームへと変貌を遂げたのだ。
当時その情報を見た時は「それでゲームになるの!?」との思いだった。しかし、遊んでみるとちゃんとゲームになっていた。不死身とは言え、相応に一度通り抜けた部屋のスタート地点に戻されてしまうと言った、不便なやり直しを強いられるデメリットを設けていたり、その体質を活かした大胆な攻略法が試されるなど、確かなやり応えを得られるアクションゲームとして完成されていたのだ。
続く「ワリオランド3 不思議なオルゴール」でも不死身は継続。だが、前述のやり直しの過程がゲームテンポを乱す難点を抱えていたことからか、次作「ワリオランドアドバンス ヨーキのお宝」では不死身の概念が廃止され、ダメージ制に変更された。しかし、「残機制」、ゲームオーバーがない点は残り(「ワリオワールド」は除く)、それは現時点での最終作「ワリオランドシェイク」でも継続採用された。
思えば、今のトレンドになったことをワリオのシリーズは先んじてやっていたのだ。その当時の試みが様々なアクションゲームも波及し、ついにはライバルだったマリオまで追随する形になった。
さすがに不死身はどのゲームも特定の条件下限定に留まっているが、色々な意味でアクションゲームの常識を壊し続けたワリオのやり方がスタンダードとして認知されるようになったのには、奇妙な感慨深さを感じるばかりである。
「甘え」への警戒はあれど、今後の流れから目が離せない
徐々に稀少なものになりつつある「残機制」。
この流れが今後、どうなるかは近年の新作タイトルが現す通りにますます加速していくのだろう。ロックマンのように意義を出せている例も、いずれ将来には採用しないことが当たり前になるのかもしれない。
ただ、「残機制」を廃することは必ずしもメリットを生む訳でもない。制作側に「何回でもやり直せるから、もの凄い難しい局面を沢山用意しても許される」との思いを植え付け、杜撰な調整でまとめられたアクションゲームが出てきてしまう懸念がある。
具体的には、ミスした時の復帰場所「チェックポイント」までの距離が長い、その間に難関が長らく続き、プレイヤーに精神的な負担を負わせるようなステージを沢山用意したアクションゲームだ。名指しは避けるが、筆者はそのようなアクションゲームをつい先日に触れ、酷く気持ちを害された。まさに「残機制」が無いことに甘えた「悪意の塊」だったのである。
いくら大きなやり直しを強いられる心配がないからと言って、難関を連続させても大丈夫な訳ではない。杜撰な考えで作られれば、それは遊ぶ側に「悪意」と見なされかねない。トレンドだからと言って、決して細かい調整をしなくていいんだとは思い込まないで欲しい。1回クリアできたことが確認されたから、もうこれ以上調整はしなくていいみたいに決めつけないでいただきたい。実際にそんなアクションゲームを体験し、不安を感じたので言わせていただいた。あまりこういう例が増えないことを切実に祈るばかりだ。
年々、遊びやすくなり、進化し続けているアクションゲームのジャンル。これから先、「残機制」はどうなっていくのか。消えゆくだけなのか。いずれにしても、この流れは良くも悪くも楽しみな限りである。
また、あまり言及はしなかったが、そろそろシューティングゲームにもこのような流れが入ってこないかと思う次第である。直近の作品を見ても、そのような流れは見受けられないのだが。
その意味では、「残機制」の未来はシューティングゲームが担っている?