ゲームのパクリ問題、パルワードを機に少し考えてみる
著者:加藤賢治(SQOOL代表 兼 編集長)
似たようなゲーム問題、定期的に話題になりますが、なかなか難しい問題で、記事のテーマとして取り上げるのをなんとなく避けてきました。正解がなく、正義がぶつかる不毛な議論になりがちだからです。
ただ、パルワールドが大ヒットした今のタイミングで、少し考えてみたいと思い、動画にしてみました。
この動画で述べている通り、ゲームが似ること、そして、良いゲームに似せることは必ずしも悪いことではなく、ゲームの発展にはむしろ必要なことだと考えています。
もちろんこれは、法律を侵していないことが大前提です。
しかしそれでも、露骨に似ているゲームついては、なんとなくモヤモヤしたり、嫌悪感を抱く方も多いでしょう。
この辺りについて、動画では語っていない部分を少しここに書いてみたいと思います。
倫理観を大切にする、というのは日本人の美徳の一つだと思います。例え法律を侵していなくても、倫理的に間違っている、つまり人として間違っていることはやらない、というのは素晴らしいことです。
日本のクリエイターにはその意識の高い方が多く、それであるがゆえにオリジナリティあふれる様々な作品が生まれてきました。
これは日本の大きな価値であり財産であり力だと思います。
しかし一方で、少なくともゲームの世界において、日本のゲームが好きな海外勢に追いつかれつつあるのも事実です。
原神がその象徴的な例ですが、露骨なパクリから始まった、例えば中国のゲームなどが、今や日本を超える規模で日本風のゲームを作って多くのファンを獲得している事実があります。
インディーの世界でも、例えば中国のPuja8というパブリッシャーは、かつては日本のゲームを許可なく勝手に中国語に翻訳してコピーを流布する海賊版ゲーム作成集団でしたが、今は高度な翻訳を駆使する中国随一のインディーゲームパブリッシャーになりました。
彼らとはよく話しますが、今や高い倫理観を持ち、その優れた知識と技術で日本のインディーゲーム開発者の良きパートナーとなっています。
この変遷とスピード感は、私には羨ましく思われます。本来のクリエイターとしての力はまだ日本の方が高いと思いますが、時勢を読む力、変遷の速さ、恐れずに真似して経験にする力は日本には足りないと感じています。それがあればもっともっと日本のゲームは世界に出ていけるのに、と感じます。
ただの真似、ただのパクリは推奨されませんし、保の遵守は絶対として、何かに似たゲームが出た時にまず批判するのではなく、なぜユーザーがこれを支持しているのか、世の中はなぜこれを受け入れたのか、ということを考えられると良いのではと思います。
ゲームを作る側は、ユーザーに良いゲームを届けたいのであって、そのためには良いゲームの良い要素を取り入れるという考え方は否定されるものではないはずだからです。