ゲーム時間規制はゲーム依存症対策にはならない
著者:加藤賢治(SQOOL代表 兼 編集長)
ゲームは悪だ、とまで言う人はそれほど多くない。しかし、子供には是非ゲームをやらせるべきだ、と考えている人は少数派だろう。
注:本記事のゲームとは、「テレビゲーム」「パソコンゲーム」「スマートフォンゲーム」などを指すものとする。
香川県のゲーム規制条例案が物議を醸している。
以前より日本はゲームに対しての風当たりが強かった。1990年代には凶悪犯罪が発生するとゲームの影響ではないかという報道がなされていたし、その後引きこもりやニートが社会問題化するとやはり原因の1つとしてゲームが取り上げられた。これは今も継続しており、2019年5月の川崎殺傷事件の報道では「容疑者宅にテレビやゲーム機」など、あたかもゲームによって犯罪が誘発されたかのように報道された。
このような「ゲームが犯罪やニートなどの社会問題を引き起こすという主張」がいかに誤ったものであるかは、『「ニート」って言うな! 』という書籍に詳しく書かれているので興味のある方は是非読んで欲しい。ゲームが社会に浸透し表現がよりリアルになるにのと並行して、日本での凶悪犯罪件数は減少している。感情論ではなく、客観的な事実と数値から、ゲームが犯罪やニートなどの社会問題を引き起こすという主張を見事に論破している。少し古い書籍だが、今でも十分に参考になる。
筆者は子どもたちの健全な育成のために、行政が色々と考えることには大賛成だ。その中の1つに、あまりにも長時間ゲームを遊んでしまう子供への対策があっても良いと思う。冒頭にも書いたが、子供には多くの経験が必要で、ゲームだけしていれば良いというわけではない。
しかし、行政がゲームを良くないものとしてゲームを遊ぶ時間を制限してしまうのは問題だ。
いや、これは強制ではなく指針ですから、
と言ったとしても、行政がゲームで遊ぶ時間を短くするべきだとしてしまえば、それはすなわち「ゲームは良くないもの」としていることと同じだ。そうしてゲームをスケープゴートにすることで、子どもたちを取り巻く問題の本質的な原因は放置される。
ゲームは小説や映画や絵画や音楽と同じ娯楽の1つだ。どのような娯楽も依存するほどになるのは好ましくない。依存する危険があるから時間を制限します、というのでは、世の中全ての娯楽に時間規制が必要になる。手っ取り早く子供が好む娯楽から規制するのだろうか。
ゲーム依存症は確かに存在するが、問題の本質はそこにはないのだ。
子どもたちは楽しいからゲームをする。辛いことがあれば楽しいことに逃げる。それは当たり前のことだ。ゲームに逃げない子供は、アニメやSNSに逃げる。楽しいからだ。
社会は子どもたちをどれほど注意深く見ているだろうか。子供を1人の人間として見ているだろうか。家庭は適切に子供と対話できているだろうか。何かあったときに親は子供ときちんと対峙しているだろうか。社会はその親をサポートできているだろうか。その子供は何があって楽しいことに逃げているのだろうか。
ゲームで遊ぶ時間を規制しても、ゲーム依存症の問題は解決しないだろう。対策をしたつもりになって、子どもたちと社会との溝がより深まるだけだ。