ゲームと作家性について考えてみる、そもそも作家性とは何か、インディーゲームには作家性が必須なのか
著者:加藤賢治(SQOOL代表 兼 編集長)
インディーゲームというワードが数年前にホットワードになって以降、「作家性」というワードもまたインディーゲームを評する時に重視されるようになってきました。
それは、インディーゲームは小規模なゲームスタジオの作品であるから、大手のタイトルにはないような独自の世界観やストーリーが求められる、という考えに基づくものですが、さて、果たして「作家性」とはそういうものだったのでしょうか。
この記事では、ゲームと作家性について少し考察したいと思います。
ゲームでいう作家性とは?
まず作家性とはなんでしょうか。
クリエイターの個性や方向性、そしてその結果として現れる作風などを指すことが多いと思います。
ゲームの場合はストーリーの特徴や、グラフィックの雰囲気などがわかりやすいポイントかと思います。それに加えて、例えばオンラインマッチング機能を取り入れているとか、コレクション機能があるとか、そういうものもゲームの場合作家性と呼んでも良いでしょう。そのほか音楽のあり方とか、効果音、ステージ間の演出、そしてそれらを加えて全体が作り出す雰囲気が、すなわち作家性といえるのかもしれません。
必ずしもストーリーがあるものだけに作家性があるというのではなく、カジュアルなパズルゲームだとしても開発者の意図が反映できる以上作家性を見出すことができるかもしれません。
このようにゲームの作家性とは定義自体がかなり難しいのですが、ゲームでいう作家性とは、作品としての空気感みたいなものではないかと筆者は考えています。
大手ゲームには作家性がない?
ゲームにおける作家性という話題になると、大型のタイトルではなくインディーゲームタイトルに限定されがちと感じますが、大手のゲームには作家性がないのかというとそのようなことはなく、というよりはむしろ逆で、大型のゲームであればこそ統一された世界観や、練り込まれたストーリーが必要になりますので、その意味で大手のゲームにこそ高い作家性を持つタイトルは多いのではないかと思います。
我々がインディーゲームに作家性を感じたり求めたりする傾向があるのは、インディーの場合は開発者個人の人格が見えやすい、ということに起因しているのではないでしょうか。
大手の場合は著名なプロデューサーやプランナーが関わっていたとしても、組織による作品であると捉えられることが多い反面、小規模チームであるインディーのタイトルは、個々のクリエイターの作品である、という認知がされやすい特徴があります。
本来的な意味でタイトルの規模によって作家性のあり方に差はないと思いますが、個人が見えやすいかどうかという点で、我々ユーザーはインディーに作家性を求めがちなのでしょう。
インディーゲームには作家性が必要?
さて、ではインディーゲームには作家性なるものが必要なのでしょうか。
これはちょっと矛盾した問いで、作家性がないとはどういう状況かということを考えると理解できますが、作品が世に出た時に作家性がないという状態は本来的にあり得ないものです。
ただ、他の作品との違いが分かりにくいという側面を捉えて、作家性に乏しいとか、作家性がないという表現はあり得るでしょう。
では他の作品との明確な違いがなければインディーゲームとしては良くないのか、と言われると、筆者はそうは考えていません。
例えば人気ゲームのヴァンパイアサバイバーを模したゲームをあるインディーゲームスタジオが開発したとして、それはインディーゲームスタジオとして良くない姿勢なのでしょうか。あるいは敢えて特徴を排除したハイパーカジュアルゲームなどはどうでしょうか。
そのようなゲームスタジオのあり方も許容されるべきだと筆者は考えています。
パブリッシャーの視点
さて、ではなぜインディーゲームにおける作家性が重視されるのでしょうか。
一つは、もちろん我々ゲーマーが、応援するインディーゲーム開発者に対して、その人なりの特徴を求めている、というのがあります。
インディーゲムのファンは、ゲームの深いファンであることが多いと思いますが、よくあるゲームも好きだが、この人のこの部分が好きだ、というようなこだわりを持っていることが少なくありません。尖った作家性で勝負するゲーム開発者の姿勢は、インディーゲームファンにとっては応援する十分な理由になります。
また、パブリッシャーから見た時にも、作家性がある、というのは良いことです。ゲームをPRする時の切り口を考える場合、ゲーム自体に分かりやすい特徴があればそれを押し出すことで他のタイトルとの差別化を図ることができます。
王道、というスタイルは小規模なゲームが多いインディーゲームにとってはPRの面で有利ではないことも多く、何か特徴的なチャレンジがあるというのはパブリッシャーにとってはありがたいでしょう。
意図して作られる作家性はバレる
じゃあ、作家性の高いゲームを作ろう!作家性の高い企画に仕上げよう!と思ったとしてもそれはかなり難しいでしょう。
意図して特徴を盛り込もうとするのは非常に高度な計算が必要で、どちらかというと大手の手法です。
インディーゲームスタジオが計算で作家性を作り上げるのは非常に困難で、それよりも作りたいゲームを作ろうどする中で自然に培われるものこそが作家性であり、従って開発サイドは自分たちの作家性というものを意識することは少ないのではないかと思います。
気づいたら自分のゲームはこういう特徴を持つようになった、というのが多くのケースではないでしょうか。
多くのインディーゲーム開発者が活躍できるようになったのは、ゲーマーにとって本当に良い環境だと思います。これからも驚くような作家性を持ったゲームを期待したいですね。