令和におけるゲーム機考察

 コラム 
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 著者:東 

令和におけるゲーム機考察

「PlayStation 5」がついに発売!

これは、全ゲーマーにとって本年最大関心事であり、その喜びは多くの人に共通したことと思います。
しかし、その反面真逆の意見もちらほら見かけました。
「予約の抽選に漏れた」「初回の販売台数少なすぎ!」「いつ買えるかわからない状況がストレスすぎる」などなど……これらは新ハード登場時によく聞かれる言葉ではあります。
ただ、ここ最近ではそれに加えて新たに「売り目的の奴らのせいで抽選倍率が上がった」「すごい値段で売り出されている」という転売ヤーに対しての怨嗟の声もよく見るようになりました。
「PlayStation 5」販売日の11月12日、ネットニュースで見かけたヘッドラインには「抽選倍率は100倍」との言葉が踊っていました。

転売ヤーはゲームに限らずあらゆるシーンで迷惑な存在

ゲーム界隈に置いてもよく耳にするようになった「転売ヤー」。
この手合はメルカリやヤフオク、アマゾンなど、個人でも出品してすぐに現金化できるツールが発達・普及したことによって、またたく間に増殖しました。
ただし、転売ヤー自体は他ジャンルにおいてはすでに古くから暗躍しており、その代表格としてあるのがライブチケットなどを高額で売りつける「ダフ屋」と呼ばれる連中です。
ダフ屋は転売ヤーとやっていることは全く同じで、ダフ屋の場合は扱う商材が人気のあるライブや観劇などのチケットというだけのこと。それらを人海戦術を駆使して複数購入し、手に入らなかったファンへ高額で売りさばいています。このダフ行為については、少し前に「チケット転売規制法」が施行されたことで、違反者を法的に罰することができるようになりました。

令和におけるゲーム機考察

近年ではコロナウイルスの蔓延によってマスクやアルコール消毒液などの転売が問題化しましたが、それらに対しては早急に転売を禁ずる法律ができたことも記憶に新しいかと思います。

さて、同じ転売という行為にも関わらず、現時点においてゲーム機は法的な制限はなされていないのが現状ですが、それはなぜなのでしょう?
これは個人的な見解ですが、ゲーム機の転売はマスクなどのように健康や命に関わる切迫した問題に発展しないことがあると思います。
オリンピックなどの国が関わる事業も含まれているチケットと違って、あくまでも個人対個人における趣味・娯楽の範疇のものだけに問題視されないこともあるでしょう。

とはいえ先にも書きましたように個人での売買が楽に行えることから、ゲームに限らず人気漫画・アニメのグッズもその餌食となっています。
今はちょうど「鬼滅の刃」がホットな商材として注目されており、一部の非道な買い占めによって多くのファンを泣かせているだけに、あまり軽視してはいけない問題だと思っています。子供が欲しがるものである場合は、特に言えることです。

更に厳密に言いますと「古物営業法には引っかからないのか?」「収入によっては所得税の徴収も必要なのでは?」といった部分も多々あるだけに、行政にはあまり楽観してほしくない気持ちもあります。

ライブチケット販売から見る転売防止策

令和におけるゲーム機考察

ゲーム機に関して言いますと、ここ最近の転売ヤーの餌食になっているのが「Nintendo Switch」です。
通常時から品薄とあって、アマゾンなどでかなり強気の販売価格で売り出されても次々に売れているようです。
また、「あつまれ どうぶつの森」のようなビッグタイトルや話題作がリリースされるとその傾向はさらに強まり、結果未だ欲しいのに本体を適正価格で手に入れられない人が多数います。

「これら転売を打開する良い手立てはないのか?」
転売ヤーのしわ寄せを受けている人でしたら、誰もが思うことでしょう。

実はジャンル違いではありますが、1つの成功例があります。
それはバンドのライブチケット販売です。
ダフ行為が常に問題視されていたある有名バンドは、購入したチケットの名義と入場時の身分証明が一致しなければ会場入りさせないという対策を取り、転売購入を締め出すのに成功しました。

近年では「電子チケット」の導入によって対策はさらに確実かつ簡単に行えるようになり、ダフ行為は鎮静していくのではないかと見られています。
これは良い方法ではありますが、現時点では確認枚数の限られるライブチケットにのみ有効な手段なのかもしれません。

それというのも数百万台単位で出荷するゲーム機ともなると、その精査に伴う開発費や人件費は馬鹿にならないからです。しかも「Nintendo Switch」の例からもわかるように、長い期間において転売が横行すれば余計に対策は難しくなります。

また、うがった見方になりますが、メーカー側の「売る」という目的にのみ焦点を当てれば「誰が何台購入しようと売上金は一緒」というのも事実。さらに皮肉な話としてはどのような過程を経ようと、結果「売り切れ続出」「入手困難」というブレイクしている状況をメディアが報じることで広告以上に効果的かつ料金のかからないPRをしてもらえるわけですから、メーカーにとって不利益になることは少ないとも言えます。
上記のような現状からゲーム関連の転売については、まだまだ暗いトンネルを抜けることはできないのかもしれません。

ハードに依存しない新しい販売方法「ハードがなくなれば転売もなくなる!?」

では「ゲーム機の転売はなくならないのか?」ということについての結論を言いましょう。
転売がなくなるのは、すなわち「ゲームハードそのものが不要になったとき」だと言えます。
かなり極論に思われるかもしれませんが、現状このような転売ヤーが跋扈する状況が解消されるとしたら、もうそれしか方法は残っていないと思われます。
また、転売とは別の動きですが、近年そういう流れが新しい潮流として誕生していることも事実なのです。
その一番有名なものとしてあるのが、ゲームのオンラインダウンロード販売という新しい販路を開拓したSteamというサービスです。

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SteamとはアメリカのValve Corporationが運営する一大ゲームストレージサービスで、2004年から本格的に稼働。現在海外の有名コンシューマゲームの大部分は、Steamを通じてPCでもプレイすることができます。
これには海外ゲームメーカーの多くが、PCもゲーム市場の1つとしてみなしていることに理由があり、家庭用ゲームのリリースにおいては、それこそハード限定発売という縛りがない限りPC版もほぼ確実にリリースされます。

この販売形態は弱小の開発メーカーに大きなチャンスをもたらしたことも見逃せません。それは、パッケージ販売ですと膨大な制作コストがかかりますが、ダウンロード販売であれば必要がないということです。またダウンロード販売は返品などに悩まされることもありません。

大ヒットホラー対戦ゲームの「デッドバイデイライト」を始め、Steamからリリースされて大ブレイクしたゲームは実に多く、そういう意味におていも「ハードに縛られない」ということは、今後のゲーム制作に置いて重要な部分を占める要素と言えるでしょう。
なお、海外のゲームメーカと比べてPCプラットフォームへの参入が遅れていた日本ですが、最近では国産ゲームもSteamで販売されることが多くなりました。
「ストリートファイターシリーズ」や「DOA6」などの格闘ゲーム、「モンスターハンターシリーズ」、「ファイナルファンタジーシリーズ」などのビッグタイトルが配信されており、ユニークな例として「龍が如くシリーズ」は「Yakuza」と名称を改めた同内容の海外版が逆輸入されています。

さらに近年では、有力コンテンツを所有するユービーアイソフトやEpic Gamesなどのゲームメーカーが独自のプラットフォーム展開をはじめるケースも増えてきました。ゲーム機に依存しない販路は、確実に形成されつつあるのです。
このようなゲームビジネスは、最近特に顕著となり「Amazonフリーオンラインゲームストア」やグーグルのクラウドゲームサービス「Stedia」など、ゲームメーカーではない大企業も続々参戦し始めています。

令和におけるゲーム機考察

最近の気になるトピックとしては、任天堂が唯一の携帯ゲーム機である「ニンテンドー3DS」の販売終了を発表したことも大きなニュースでした。
これも近年のハード問題を如実に表した一例と言えます。
携帯ゲーム機はスマートフォンの高性能化、そしてなによりも普及台数の高さで完全に取って代わられ、その役目を終えることとなりました。ただし「Nintendo Switch」には、携帯ゲーム機としての機能も持たせていますので、完全撤退というのではなく時代にあわせて形を変えたということができるかもしれません。
とはいえ、スマートフォンの台頭は、多くのゲームメーカーに新たなビジネスの場として目を引きつけたのは間違いの無いことでしょう。携帯ゲーム機にかけていた注力は、そのままスマホゲームへと舵が切られました。しかし、携帯ゲーム機を販売している任天堂だけは、もちろん別。ガラケー時代においても、一切ゲームの配信はしていません。

しかし、時代の流れには逆らえなかったのか、2016年3月に任天堂初となるスマホゲーム「Miitomo(配信終了済)」が配信されます。当然、大きな話題を呼びました。
それを皮切りに「スーパーマリオラン」「どうぶつの森ポケットキャンプ」のほか、「ドクターマリオワールド」や「マリオカートツアー」などのタイトルを他社との共同リリースで配信しているのは周知のとおりです。
携帯ゲーム機におけるこの流れは、当然家庭用ゲーム機にも及んでいるのは前述しましたが、最終的にどうなるのかはもちろんわかりません。
しかし、その流れが徐々に徐々に強まっていることだけは間違い無いでしょう。

結果同じサービスを受けられるとしても、形があるということを大事にしたい

ゲームのオンライン化が進んでいますが、だからといってすぐにハードがなくなることはないでしょうし、またそのような状況に関係なく存続するかもしれません。
今のところはなんとも言えませんが、そういう世の中の動きとは別に個人的には「形として残る」ということだけは、絶対になくならないでほしいと切に願っています。
その理由はただ一つ。「実物を所有すること」の意味や喜びだけは、絶対に忘れはいけないからです。

今の世の中は何でもデジタル化する風潮にあり、それは音楽や漫画、映画も例外ではありません。
しかし、本当にそれで良いのでしょうか?

その意義について、あるミュージシャンが話していた制作秘話から読み解くことができます。

「今の若い子達に音楽を売るにはダウンロードは必須、それも一曲単位で販売する必要がある。ヒット曲やタイアップ曲、カラオケで歌いたい曲だけ欲しいという需要は見過ごせないから。しかし、CDアルバムは本来、ジャケット写真やライナーノート、曲順の並びや曲間のブランクの長さまでも含めてできている総合作品なんだ」

この話は以前までごく当たり前だったことなのですが、こんな当然のことですら今や危ぶまれているのです。
なお、アルバム作品には、テーマを設けた楽曲で構成される「コンセプトアルバム」という表現方法や、曲目リストには掲載されていない「隠しトラック」というお遊びもあります。
しかし、一曲単位で好きにダウンロードする方法では、上記のような作品を創作することはできなくなります。

上記ミュージシャンは最終的に「何よりも、アルバム単位で購入してくれないとたくさん印税が入らないから」と笑いながら話をまとめましたが、それは半分は冗談、半分はクリエイターならではの矜持が言わせた発言なのだろうと想像できます。
一曲単位で消費されるものであれば、わざわざまとめてアルバム化する必要もなく、そこにかける労力や見合う喜び、そしてなによりも対価となる報酬が得られません。購入者が消費した後は、飽きたらデバイスから削除して終わりというのでは、なんとも味気ないものです。

ゲームは特にデータでできているという関係からダウンロード販売の親和性も高く、その風潮が強くなるのも無理はないのですが、あえて形として手元に置いておくことの意味や意義を深く考えてもらいたく思います。
まず、なんと言っても形があれば思い入れも深まるというものです。ゲームコレクターは、その愛情表現の最たるものでしょう。
ゲームによっては、フィギアやトレーディングカード、バッジ、設定資料などの特典がついていることも多くありますが、それらを手に取り開封するときのトキメキはダウンロード版では決して味わえないものなのです。

令和におけるゲーム機考察

形としてあるものでしたら、友達とゲームの貸し借りを通じて交流を深められますが、完全にダウンロード化されてしまうと、そのようなことは一切できなくなります。
それに、子どもたちのクリスマスプレゼントが形のないゲームのダウンロードコードというのは、正直な話ちょっとさみしい気がしてなりません。
ハードがなくなれば転売ヤー問題は解決するでしょうが、同時に失うものも大きくあります。
悩ましく、頭が痛い問題ですがハードは形として残しつつも、転売を解消できる方法を模索したいところです。

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今この原稿を書いている最中、なんとなくゲーム機の物理ボタンをプッシュしてみました。そしてまもなく鳴り響いた起動音が、とても心地よく耳に響きました。
直線と曲線が入り混じった独特のフォルムはゲーム機ならではのデザインでもありますが、これも商業デザイナーが試行錯誤した結晶なのでしょう。

「そう言えばゲーム機の縦置きと横置きが選べるデザインを初めて実現したのはプレステだったかな」

そのような設置方法を一番最初に行ったハードがプレステなのか、それとも違うのかは詳らかではありません。ただ1つ言えることは、どのような設置場所においても空間の邪魔にならずフィットすることを想定した上で考案されたデザインであることだけは間違いないでしょう。
そんなことを考えると「やはり形のあるものには意味があるのだな」と強く思いました。

著者:東
80年代からテレビゲームに親しむ親父ライター。
最近でもスマホゲームをメインにいろいろとプレイ中。