長き年月を経て蘇る、恐怖の名作ADV「ファミコン探偵倶楽部」への期待
著者:シェループ
2019年9月5日実施の「Nintendo Direct 2019.9.5」にて、驚きの報せがあった。
ファミコンディスクシステム用テキストアドベンチャーゲームとして発売された「ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者」、「ファミコン探偵倶楽部 うしろに立つ少女」の二作が、Nintendo Switch用ソフトとしてリメイクされることになったのだ。
リメイク版は任天堂とMAGES.とのコラボレーションで制作され、グラフィック、音楽はもちろん、システム周りも現代のアドベンチャーゲームとして一新されるという。さらには台詞も声優によるフルボイス仕様になると告知された。
二作のオリジナル版が発売されたのは1988年、1989年。30年も前だ。
しかも、本作を始めとする、過去に任天堂から発売されたアドベンチャーゲームの新作が発売される可能性は限りなく低いと、雑誌などで関係者が発言されていた。
それがまさかの……である。
誰がこの展開を予想できただろうか。
任天堂の中でもひときわ珍しい、物語重視の作品
ファミコン探偵倶楽部は数ある任天堂の作品群の中でも非常に珍しいゲームだ。
少年探偵の主人公となり、コマンドを選んで登場人物との会話を実施しながら、作中で起きた事件の真相に迫っていく。
シリーズ第一作が「消えた後継者」。「明神村(みょうじんむら)」なる寒村随一の資産家「綾城家(あやしろけ)」の当主「綾城キク」が突然死した真相を求め、ある出来事を機に記憶を失くした主人公が奮闘するという物語。
続くシリーズ第二作「うしろに立つ少女」は、「消えた後継者」の3年前が舞台。「丑美津高校(うしみつこうこう)」に通う女子生徒が何者かに殺害され、そこに校内で古くから噂される「うしろの少女」なる幽霊、15年前の未解決事件が絡んでくるという物語が描かれる。
主人公が探偵、事件解決が目的という設定から思い起こされる、比較的最近の任天堂絡みの作品と言えば、ニンテンドー3DSで発売され、映画も公開された「名探偵ピカチュウ」がある。しかし、同作はプレイヤーが謎を解いたり、登場人物を追及するなどのゲーム的な要素が薄く、物語を読み進めていくことに特化。
一部、疑似3Dのマップを探索するイベントがあるが、基本的にはコマンドを総当たりしていけば進めていける設計で難易度は低い。
また、物語重視という点で、任天堂にしては珍しく”触って遊ぶ”の部分が薄め。それもあって、”らしくない”ゲームになっている。
同じ任天堂が制作したアドベンチャーゲームの一つ、「ふぁみこんむかしばなし 新・鬼ヶ島」は戦闘を始め、ミニゲーム的なイベントがあり、介入できる部分があった。それと比較するだけでも、本作の異端さがよく分かるかもしれない。
恐怖を煽り、トラウマを植え付ける珠玉の演出
だが、本作は物語を重視したなりに、その部分の完成度が高い。合わせて恐怖心を煽り立てる演出の数々で、プレイした人達に多くのトラウマを植え付けた。
演出に関しては、発売から30年以上経過した昨今でも語り草になるほどだ。特に凄いのが、物語の展開に合わせた音楽と効果音の切り替わり方。
「消えた後継者」なら、急に無音になったと思ってから間もなく、おぞましい楽曲が流れ始めて殺人事件のイベントが発生する。
「うしろに立つ少女」なら、不気味な話が始まって間もなく音楽のみならず、台詞の効果音も変わって空気が一変するなど、徹底して場面ごとに漂う空気を動かし、恐怖心を煽ってくるのだ。
ハードの制約による簡素なグラフィックも、音楽などとの相乗効果もあって得体の知れない怖さを醸し出し、プレイヤーの目に光景を焼き付ける。特に殺人イベントの多い「消えた後継者」はその真骨頂だ。
さらに物語も二転三転の連続で、時に笑いも挟む起伏のある構成で楽しませてくれる。販売本数にして約20万枚(+書き換え回数31万回)と、大ヒットというほどの記録を残した訳ではないが、それらの完成度の高さから名作として高く評価された。
その人気を経て、1995年頃に任天堂が展開した衛星データ放送サービス「サテラビュー」において、ヒロインの「橘(たちばな)あゆみ」を主人公に据えたスピンオフの新作「BS探偵倶楽部 雪に消えた過去」が配信。
1998年には、コンビニエンスストア「ローソン」で展開されたスーパーファミコンの書き換えサービス「NINTENDO POWER(ニンテンドウパワー)」用に「うしろに立つ少女」のフルリメイク版が制作・発売された。
ちなみに筆者はスーパーファミコン版からシリーズに触れ、後に2004年にゲームボーイアドバンスで発売された「ファミコンミニ ディスクシステムセレクション」で「消えた後継者」を遊んだ人間である。リアルタイム世代ではない。
しかしリメイクされること、語り草になるのも納得の完成度で、気が付けば数ある任天堂のゲームの中でも強烈な印象を残す作品として記憶に刻み込まれた。
特に「消えた後継者」は殺人事件発生時のイベント、その際に表示される亡骸のグラフィックに背筋が凍る恐怖を感じ、未だ思い出す度にゾッとするほどだ。
二作共通の最終局面も衝撃的で、本作の演出周りの巧みさが顕著に現れている。
また、スーパーファミコン版「うしろに立つ少女」は1998年、ハードが現役を退いてから発売された作品というのもあり、グラフィックと音楽も成熟した仕上がりで、まさに”ドット絵の芸術”とも言える映像美が楽しめるのも見所だ。
リメイク最大の関心事”恐怖の変化”
そんなトラウマを植え付けた作品がNintendo Switchで復活を遂げる。
「消えた後継者」に関しては、スーパーファミコン版「うしろに立つ少女」のエンディングでの予告から換算すれば、21~22年ぶりのリメイク実現である。
初プレイが同作だった筆者としては感無量の思いでいっぱいだ。「うしろに立つ少女」も二度目のリメイクということで、どう変化するのかが期待される。
唯一、気がかりは恐怖を煽り立てる演出だろう。特にオリジナル版はファミコン(兼ディスクシステム)の制約を逆手に取る形で表現していただけに、登場人物達のデザインも含め、現代風に改めるとなれば、怖さがグレードダウンしてしまうのではとの懸念がある。オリジナル版経験者からすれば、なおのこと思うだろう。
実際、スーパーファミコン版からオリジナル版の順でプレイした人間の目から見ても、あの怖さには独特のものがあった。簡略化されているがゆえに”得体の知れないもの”と、勝手に認識し、想像を広げてしまうのだ。殺人現場(兼亡骸)のシーンは特にそのようなものだった。ある種、人間の習性を突く表現だったとも言える。
既に「消えた後継者」はリメイクされた殺人現場のシーンが公開済みだが、やはり表現が豊かになったこともあり、あくまでも第一印象としては、得体の知れない怖さは薄れているように見える。
だが、そのような強化が施されたスーパーファミコン版は全く失われてはいなかったし、何より音楽と効果音の切り替わりなどの演出面は大幅にパワーアップしていた。
一部、新しい恐怖がプラスされていたのも見逃せないところだ。学校の美術室における……やっぱり、言及は止しておこう。
まだ僅かな情報しか公開されていないので、断定などできたものではないが、オリジナル版の二作で原作、スーパーファミコン版で監督も務められた任天堂の坂本賀勇氏ほか、当時のメンバーが監修として関わっている。
開発のMAGES.も、現在の倫理基準上止むない修正は行いつつも、オリジナル尊重の方針で作られたリメイク版「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」の制作経験がある。土蔵という共通点もあるだけに、期待できそうなものがある。
果たして、どのようなリメイクに仕上がるのか。シナリオに何か加筆が行われるのか。そして、スーパーファミコン版のエンディングに仕込まれた”アレ”は引き継がれるのか。また、どうすれば満タンにできるのかで、何周もプレイすることになる日々が来てしまうのか。
今はただ、バーチャルコンソールで配信されているオリジナル版をプレイしながら、続報に期待するばかりだ。
ちなみにプレイしてから15年以上が経過した今もスーパーファミコン版のアレ、満タンにできません。どうすればいいんでしょうか。
助けて、ひとみちゃーん……。
(※あの”裏ヒロイン”の進化にも心から期待している筆者です。)