【黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ】第3回:知らない街を歩いてみたい、遠くへ行きたい

 黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ 
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著者:黒川文雄
3月から5月にかけて、いくつかのTech系・ゲーム系のイベントにメディアとして参加しました。フィンランド発祥の起業家イベントSLUSHの東京版「SLUSH TOKYO」、海外出身の代表者Kevin氏が開催した「TOKYO SANDBOX」、インディゲームデベロッパーの海外展開促進をにらんでGoogleが主催した「Google Play Indie Games Festival」、京都で開催された国際的なインディーゲームの祭典「BitSummit」。8月には上海の「ChinaJoy」、台北の「TGDF」に参加予定です。いずれもキーワードは「海外」。
これからの、いや既に今のゲームシーンを語るとき、海外を無視することはできなくなってきました。海外製のアプリゲームを日本の子供たちが遊び、プロゲーマーは海外を転戦する、そんな時代になりました。
しかしある統計によると、日本人のパスポート所有率は約25%だそうです。国際化が叫ばれる今において、この数字は少し意外に感じられます。もちろん海外に行くことが全て素晴らしいわけではありませんし、日本だからこそできる貴重な体験も多くあります。しかし、海外に行くからこそ得られるものもあります。海外に行ったからこそ感じる日本の良さもあります。ゲーム好きにこそ海外はお勧めです。小国ながら多くのゲーム会社を持つフィンランド、eスポーツに熱狂する中国、PokémonGOを生んだ国、アメリカ。

長くゲーム業界に身を置き、幾度となく海外に渡航した経験のある黒川氏も、かつては旅慣れぬ若者でした。海外の知らない街での新鮮な経験は、その後黒川青年が作り出すエンターテインメントに少なからず影響を与えたことでしょう。

「黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ」第2回目は、若かりし頃の黒川青年の海外での体験を、少しゆっくりと語っていただきました。(SQOOL.NET編集部)

【黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ】第3回:知らない街を歩いてみたい、遠くへ行きたい

家族旅行という幸せの縮図

2018年、今の時代は幼稚園生、小学生や中学生も家族と海外旅行に行く時代になりました。それはそうでしょう、逆に言えば、一家揃って長期休暇を取って海外旅行に行けるのはお子さんたちが高校生くらいまでかも知れません。その意味では幸せの縮図が旅行なのかもしれません。

私も今まで多くの海外旅行と海外出張に行ってきました。映画会社の頃は、映画のプロモーションのために香港、映画の買い付けのためにロサンゼルス、フランスのカンヌなど映画祭を中心に訪れました。ゲーム関連に仕事を移してからは、家電系のCESはラスベガス、ロサンゼルスのE3、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ニューヨークなどアメリカへの渡航はかなり多かったと思います。そしてカードゲーム関連では主にアジア、香港、韓国、マレーシア、シンガポールに良く行ったものでした。さらに、プライベートではイタリア、フランス、イギリス、ポルトガルなどがあります。おそらく、これからも色々な場所へ行くことでしょう。今は何も臆することはありませんが、生まれて初めての海外旅行は今も鮮明な記憶があります。

生まれて初めての海外旅行

1984年、24歳のとき、パスポートを取得し、生まれて初めての海外旅行に行きました。渡航先はサイパン島。

現在のサイパンの観光事情はわかりませんが、当時は観光ポイントと言っても、戦争遺跡の見学くらいでした。それらは砲台の跡、朽ち果てた日本軍の戦車、日米多くの将兵が命を落とした激戦地の浜、さらには追い詰められた兵隊さんたちが自決した場所などでした。それでも、日本が戦争という大過ののち、平和に暮らしているのは、ここで命を落とした先人たちのおかげということを改めて感じました。

しかし、初めての南国の日焼けに無防備だったため、ほぼ全身が火傷状態でその日は一睡もできなかったことが今も思い出に残っています。

本土「アメリカ」への上陸を果たす

それから3年ほど経ったころだったと思いますが、本格的な海外旅行に行きました。

島は島でも、アメリカ、ニューヨーク、マンハッタン(島)です。同じ島でも違いがあり過ぎました。サイパンもアメリカですが、やはり本土アメリカということで渡航前からとても緊張しました。

「なぜニューヨーク?、なぜマンハッタン?」

と思われるかもしれませんが、今も昔も、ニューヨークは世界の中心で、エンタテインメント、カルチャー、経済、産業など、ここを原点にしたものは多いと思います。

当時の私は、前回のコラムでも御案内したように(第1回:「四月になれば彼女は」“April come she will”)音楽関係の仕事をしていました。やっていた仕事内容は最先端ではありませんが、感性だけは最先端のものを吸収しておくべきだろうと思っていました。いわば、若さゆえ、青さゆえです。

また、当時、会社にヒップホップなどのミュージックカルチャーに詳しい宣伝担当の『先輩』が居て、『先輩』が私に「ニューヨークは音楽やカルチャーで最先端、だから現地にいかないとその感覚はわからないぞ」と言いました。得るものはあるはずだ・・・何も失うものはない…有給もある…ということで、大袈裟ですが、旅立ちの決意をしました。

とは言え、『先輩』もズルイ人で、ちょうど、ニューヨ-クのガイドブックを新規案件として会社に稟議申請をして製作している最中だったため、私を取材編集スタッフとして使いたかったという事情があったのです。

戦慄のニューヨーク タイムズスクエア

【黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ】第3回:知らない街を歩いてみたい、遠くへ行きたい

1989年の12月末、成田空港からJALの「鶴丸」(旧ロゴマーク)ジャンボに搭乗し、ジョン・Fケネディ空港に到着したのは夕方だったと思います。

後にJALとANAのジャンボジェット747機材(機体とは呼ばない)の退役ドキュメント映像を製作したのも、このときのJAL747での海外渡航の記憶が鮮烈だったからだと思います。あの頃、海外旅行といえば、ジャンボジェット747がほとんどで、今の60歳から40歳代のビジネスマンにとっては「鶴丸」マークの日航ジャンボへの思い入れがあるのではないでしょうか。

この旅の始まりに、機内で意気投合した慶応大学の学生さんが居て、ホテルもお互いに近いところだということがわかり、空港から一緒にバスに乗りグランドセントラル駅まで移動し、それぞれのホテルにチェックインしたあと、タイムズスクエアで再会しようということになりました。

数時間後、タイムズスクエアのTKTSという演劇などのチケット販売所のところで再会し、軽く周囲を散歩してから食事をすることになりました。

【黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ】第3回:知らない街を歩いてみたい、遠くへ行きたい

初めての土地でも、二人なら大丈夫っていう気持ちだったのでしょう。

しかし、時代は1980年代の中盤のニューヨーク、今とは勝手が違います。タイムズスクエアからすこし歩いた42ndストリートは急に雰囲気が暗くなるエリアで、ガイドブックなどには絶対に近づくなと書かれていました。ドラッグの売人や売春婦などがいるエリアと記述があったと思います。ゆえに、42ndの角まで行って、「ここが42ndかあ…すげえーやべえー」とか言って踵を返して歩き出したところでした。

背後から黒人の少年ふたりに、我々、ふたりのジャパニーズは声を掛けられました。

しかし、何を言っているのかもわからず、そのまま歩いて行くと、突然背後からKICK!、前にのけぞりました。

「おお、マジでやべえー!」と言いながら、小走りになりつつ、ふたりで逃げるのですが、後から追いかけてきます。

このときほどの恐怖と命の危機を感じたことはありませんでした。

強盗、ぼったくり、バゲージ・ロス、時差による乗継ミス・・・なんでも来い!

異国の地、やばい42ndストリート、黒人の少年たち、土地勘も無い中、全速力でタイムズスクエアまで戻りTKTSの横にあったスバロ(Sbarro)というピザショップに入り、レジのオジサンに「HELP ME」と言った記憶が今も薄れていません。

【黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ】第3回:知らない街を歩いてみたい、遠くへ行きたい

マジで、知らない土地って怖いと戦慄しました。ちなみにニューヨ-クは翌年も滞在しましたが、そのときは映画館の前で強盗にあい、ナイフを突きつけられました。映画館の支配人がショットガンを片手にでてきて事なきをえました・・・。ニューヨーク市警のパトカーに乗って、警察署まで行った、このエピソードはまたの機会に・・・。

それ以降、海外に行くことでの危機回避などの抵抗はほとんどなくなりました。なんとかなる、なんとかするという心構えのようなものが出来たと言ってもいいでしょう。

ニューオリンズに行ったときは、空港から乗ったタクシーがホテルの玄関ロビー手前のストリートで降ろされたのはボッタクリだったから(フロントに着けると定額料金なのがバレるから)、そんなことはイタリアのローマでもザラ、まして、「ここへ行きたい」と伝えても正面ではなく、裏口に着けられてぐるぐると探してしまったこともあります。

フライトのトラブルで言えば天候不順による遅延、雪での翌日への振り替え、バゲージ・ロスもあり、「僕のトランクは?」「はい、今はアンカレッジにあります」ってふざけんなよ・・・って。ビジネスクラス用のアメニティでしのいでくださいって・・・ふざけんなーって。

アメリカに西海岸での内地への乗り継ぎの際には、国内の時差を忘れてフライトを乗り過ごしなんてことも。

レンタカーでハイウェイパトロールに停められたことや、ラスベガスではクルマがなくてヒッチハイクや、スーパーマーケットのパーキングでレンタカーのカギをインロックしてしまったことも・・・。

ツアー同行者が不幸にも怪我してしまったこともあります。

そんなときは救急を呼ぶ、治療にも立ち会いました。おそらく、人が旅行中に経験する可能性のあることはほとんど体験したことでしょう。まあ、すべて、生きていれば解決できることばかりですから、なんら、恐れることはありません。

旅は発見とともにある

近年は海外旅行や海外出張に行くことが以前よりも減りました。

移動時間やその疲労度を考えると、行かなくてもいいかなと思うことがあります。しかし、出張であれ、個人的な旅であれ、それらは常に新鮮な発見に満ち溢れています。

まして会社の海外出張、高額な展示会参加費用まで負担してくれるならば、なおさら行ける時に行っておきましょう。そして、異国の地で、知識を満たし、新鮮な驚きで自身の好奇心を満たしましょう。

日本を旅で訪れるYouたちが、我々、日本人にとってはありきたりの光景を写真に収めているのを見たことがあります。Youたちにとっては、交通標識、ネオンサイン、マンホールの蓋、スクランブル交差点、着物などが新鮮に映るはずです。

読者の皆さんにも、海外で感じる異国の何かがあるはずです。それらは感受性が豊かな時期にそれらを浴びて自身の感性や個性を磨くことをお勧めします。

知らない街を歩いてみたい

そして、知らない街で、知らない人に話しかけてみましょう。

スマホの道案内も便利ですが、日本よりも海外の人のほうが親切に対応してくれるケースを私もたくさん見てきました。海外の展示会のアフターパーティもそう、同じ日本人同士で群れるのではなく、「Hi」と声をかけてみましょう。案外会話も進むものです。

私がセガに在職中、LA出張時にマイケル・ジャクソン氏と面談をする機会に恵まれました。

【黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ】第3回:知らない街を歩いてみたい、遠くへ行きたい

今となってみれば奇跡の瞬間だったと思います。セガで上司として遣えた鈴木(久司)常務の同行でした。鈴木常務は、生前のマイケル・ジャクソンと親しい関係でした。しかし、その日、これといった会話が成立しているようにも見えませんでした。
マイケルが去った後、「常務、マイケルとはあまり話さなかったですね?」と聞いた私に、「オレの英語はソウル・イングリッシュだから、カタコトで通じるんだ」と笑って言っていました。

言葉ではなく熱意で、熱意よりも行動で相手を動かすことができます。

行けるならばどこまでも、たとえそれが地の果であっても、青少年は荒野を目指せ!と、旅は心とともにあり、心も旅とともにあるのです。

黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ

音楽、映画、ゲーム、エンタテインメントのグランドスラム達成者、株式会社ジェミニエンタテインメント代表取締役であり、黒川塾主宰・黒川文雄。人生の大半をエンタテインメントというカテゴリーにささげた男が送るエンタテインメントな人生訓。そして、そのフィルターを通して産業を俯瞰するエンタテインメント・コラム。あらゆるエンタテインメントを様々な角度から考察し、考えるヒント、生きるヒントをお届けします。

「黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ」記事一覧

第1回:「四月になれば彼女は」“April come she will”
第2回:飲んでも飲まれるな 黒川文雄的お酒との付き合い
第3回:知らない街を歩いてみたい、遠くへ行きたい
加速する中国ゲーム市場の今昔「中国情報部から来た男」:黒川文雄のエンタメSQOOLデイズ 第4回
著者:黒川文雄
1960年・東京都出身
音楽や映画映像ビジネスの後に、セガ、コナミDE、ブシロード、NHNJapan(現在のNHNPlayart+LINE)などゲーム関連企業でゲームビジネスに携わるエンタメ界の「グラン ドスラム達成者」。
現在はジェミニエンタテインメント代表取締役と黒川メディアコンテンツ研究所・所長を務め、メディアアコンテンツ研究家としてジャーナリスティックな活動も、さらにエンタテインメント系勉強会の黒川塾を主宰。
プロデュース作品に「ANA747 FOREVER」「ATARI GAME OVER」(映像)「アルテイル」(オンラインゲーム),大手パブリッシャーとの協業コンテンツ等多数。オンラインサロン黒川塾も開設。